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偉大な父の職人像を追いかける。YOSHINORI AOYAMAのデザイナー青山嘉道氏が語る「青山眼鏡の歴史」と「美しい眼鏡の追求」-前編-

2023年の11月からブリンク外苑前にて取り扱いがスタートした「YOSHINORI AOYAMA」
ファーストコレクションの残り2型が届き、全てのモデルが店頭に揃いました!

 

デザイナーの青山嘉道氏は、青山眼鏡という歴史の長いセルフレーム専門工場で生まれ育ったため、工場の目線からものづくりをしている稀有な立ち位置のデザイナーです。
今回は青山さんのバックボーンについて実際にお話を伺ってみました。


---家業の青山眼鏡は、青山さんのお爺さんの代からの歴史ある工場ですよね?

  

はい。もう85年ほど続くセルフレーム専門の眼鏡工場です。
当時は新素材だったセルロイドの研究からはじまりました。元々は増永眼鏡さんでメタルの眼鏡作りの基礎を学んでいたときに、セルロイドに魅了され、セルロイドの研究をしたかったのですが、増永さんでは良しとされませんでした。

なので、現佐々木セルロイドさんの軒下を借りて、何人かで集まって研究を始め、そこから独立し、自分の工場を建てました。
ここが青山眼鏡のスタートとなります。

 

 ー その後は青山さんのお父さんが継がれたんですよね?

 

そうなんです。
それこそうちの親父は天才なんですよ!
言ってしまえば僕の理想の職人像に最も近い存在です。
一般的な「ハンドメイド」って、やすり一本で削り出して…みたいな感じじゃないですか?
もちろんそれも大事だと思います。
手じゃないとできない部分もあるし、手でやった方が綺麗な場合もあります。でも、機械を使わないと精度は出せないと思います。
特にプロダクトとなると尚更です。

親父はいち早くNCを眼鏡作りに取り入れ、機械化を進めました。
眼鏡を作る上ではオーバースペックとも言われ、周囲には笑われたこともあったそうです。

しかし、親父の感覚で言うと、機械もやすりの延長線上の「道具」なんです。

この「道具」をどう使ってものを作るのかが大事だと思います。
僕らも最後は手仕事にはなりますが、その完成に至るまでの過程において手だけでは描けないので、機械と上手に向き合うことが必要です!

 

---例えば、手作業においてブレが出てしまうものって、ブレが出ない様に治具を作りますよね?
機械も治具の様な感覚でもあるということですか?

 

そういうことです!
治具の延長線上でもあるのです!
数値制御のマシーンを使う理由がそこなんですよ!
親父の根っこにあるものは、NCを使って立体造形がしたかったとかそういうことではなくて、レンズを最適に保持するためのメガネフレームが作りたかったんです。
レンズ自体の構造は基本的に球面なので、球面の溝加工を求めたことが最初になります。
そして、レンズに負荷を与えず、最適な状態で保持できるフレームを作る研究をしたのが親父のやってきたことなんです。
道具としての精度をとことん追求するという、まさにものづくりの基礎を極めた考え方です。

世の中的の「ハンドメイド」と認識が外れてしまっていたとしても、これが「青山眼鏡のハンドメイド」だと考えています。

 

---お父さんの考え方は今の青山さんにも受け継がれていますよね?

親父の考え方をベースに立体造形を加えて、より深く広げていったものが僕のやっていることになります。
僕がデザインする時も考え方は全く一緒で、絵を描くと言っても鉛筆だけでなく立体に書きたいときはやすりを使います。
実際に立体の中で描かないとわからないですし。
なんちゃってプロトみたいなものをよく作っていて、そこからまた鉛筆に持ち替えて絵を描いています。

結局、同じ道具を与えられたとしても、同じものは作れないと思うんですよ。
多分まるで違うものが出来上がると思います。
機械も同じで、どう向き合い、何を作るかはその人のスピリッツの問題だと思います。

僕は今でも親父を追いかけてます。

 

 ---正直なところ、factory900ではやり切った感はありますか? 

 

まだまだ全然やり切ってないと思います。
まだ浅瀬でチャプチャプしているレベルだと思っています。笑
やっぱりやりたいことってたくさんあるんですよ。
でも、素材の限界は感じました。

それこそアセテートだと耐久性も強くはないので、めちゃめちゃ細くとかできないじゃないですか?
素材としての限界を感じたことも、メタルフレームに挑戦したくなった要因の一つです。

いちクリエイターとして、素材に縛られるのも窮屈ですし、青山の工場に縛られることも窮屈ですし、factory900にも縛られるのも窮屈に感じることもあります。

青山眼鏡だからできることもたくさんありますが、青山眼鏡だからできないこともあるんです。

なかなかセルフレームの工場から、他の工場に依頼を出すのもどうなんだろうとも思いました。なので今回は会社も新しく建てて、別の立場としてスタートしました。
それもあってか、今までの欲望の解放の様なプロダクトになったのかなと思います。

 

---青山さんは、他のデザイナーと比べても稀有な立ち位置だと思います。
普通は自分のデザインを作って、工場を選んでお願いするじゃないですか?
今までだと、見たことないものを作ろうとしたときに、青山眼鏡の工場の技術も上げながらでないといけないですよね?

 

それはもうずっとやってきたことなので、得意分野ではあります。

それこそ工場の中の人間がデザインしているので、構造ではなく、作り方からデザインすることを心がけています。
作るところを知らないデザイナーさんと比べてしまうと、そこは違う点かなと思います。

毎回実験の様な感覚です。
でも今回は、メタルフレームを作るとなったときに、ノウハウが無いので、ゼロからの勉強となりました。

自分がやりたいことの絵を描いて、それを工場に持っていき、このデザインはできるのか?
やるとしたらどうやって実現するのか?
できないときは、なぜできないのか?
こうやってやったらできるんじゃないですか?
工場の人としっかりと話し込み形にしていきました。

でも知らない時の方が、常識にとらわれていないので、良いものができる場合があるのも面白いところですよね。

 

実際このモデルの一部分だけナイロールにするところも、今まで見たことないので、工場側から大変ですよと言われました。笑

ガラ入れすると形が崩れ、ぐちゃぐちゃになってしまうので、そこからの考え直しが必要になるんです。

自分の工場だとアイディア振り絞ってやれるのですが、依頼になるとそこは難しいところでした。
ここが自社工場で作るのか、他社の工場に依頼するのかの大きな違いなのかと感じた部分でしたね。

でも新しいことを日々吸収できるので、毎日が刺激的でとても面白さを感じています!

 

---青山さんのお爺さんがメタルフレームを学ぶところから始まり、セルロイドの研究に没頭し、セルフレームの工場を建てられる。
青山さんのお父さんが機械化を進め、眼鏡を道具としての精度をさらに高めていく。
青山さんがfactory900でセルフレームの限界を追求し、さらに限界値を伸ばすため、メタルフレームの研究を始めたということですね!

まさにYOSHINORI AOYAMAは、青山眼鏡の歴史の原点回帰のようなブランドとも言えますね!

後編ではYOSHINORI AOYAMAを始めてみて、感じたことを伺っていきます!

 

text : Shin Watanabe

blinc|ブリンク外苑前
〒107-0062 東京都港区南青山2-27-20 植村ビル 1F
南青山3丁目交差点から30メートル,東京メトロ銀座線 外苑前駅 1a 出口より徒歩2分
営業時間 : 12時 〜20時(土日祝日は11時 〜20時)
定休日 : 月曜日 (月曜日が祝日の場合は、営業。翌火曜日が休み)
Tel : 03-5775-7525